就職活動をする波には乗れず、というか周囲に自由人が多かった(しかいなかったとも言える)のでそんな雰囲気では全くなく、何をすると決めないまま大学を卒業した。
そういえば就職しないのかと両親に聞かれた覚えはない。
真ん中の妹も自営業で、一度も就職していない。
今思えば不思議だ。両親はどう思っていたのだろう。
ある時、何になりたいかと教授に聞かれ、文化人になりたい、なんて言ったりしてた。
何かを作る人になりたいと、本当に漠然と思っていた。
でもはっきりと何をしたいのかわからない。
で、なんとなく大学院へ。
専攻していた彫金、シルバーアクセサリー作りはそれなりに面白かったけれど、夢中になれるほどではなかった。
ごめんなさい、熊谷先生。
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10月 06, 2016
高三の夏。
バスケ部を引退したと同時に「美術科に行きたい」となぜか閃き、元町にあった美術の予備校に通わせてもらった。
私立に入れるほど実家は余裕がなかったので国立狙い。
無事、浪人することなく大阪教育大学教養学部教養学科美術専攻美術コース(美術)に入学。
最初に「二胡」という単語を聞いたのは、大学一回生の第二外国語で専攻した中国語の授業でだった。
その年、中国語はなぜだか人気がなく、受講生が少なかった。
担当教諭は大阪外国語大学から客員で来られていた青野先生。
教育学部の教養の授業、興味を持てるように、、、と中国の楽器や映画を紹介してくださったりして、とても楽しい授業だった。
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