神戸市灘区新在家で三代続いた金物屋の店主だった父。

金物屋というと、よく荒物屋と間違われるのですが、我が家の家業は金物屋。お得意さんは大工さんや工務店など、専門職の方がほとんどでした。

古いノコギリで父が作った、、、看板?

大工さんの手作りの墨壺(非売品)。長さ60cm、高さ30cmくらいあります。

木屑と油の匂いに親しんで育ったわたしたち三姉妹。父は金物屋店主をしつつ、20代の頃からボランティアに精を出していたそうです。

都賀川を歩きながら、テレビ取材を受ける父。

不幸な都賀川水難事故の後は、本当にたくさんのテレビ、ラジオ、新聞等の取材を受けていました。遊歩道を整備したから事故で亡くなった人が出たんじゃないか、などという意見も聞こえてきたそうです。まるで「都賀川を守ろう会」を立ち上げた父が悪いとでも言いたげな、、、。

それでも全く怯まず、信念を持ってボランティアを続けた父。

すごく印象に残っているのが、ある記者が電話をかけて来て父に取材を申し込んだ時のこと。その記者氏はその電話で、会の成り立ちから歴史まですべてその場で父から聞こうとしました。

父が一喝。
「わしは商売しながらボランティアやっとんや!あんたらみたいに、座っとったら給料もらえるんと違うんや。ひとの時間使うんやったら、ちゃんと下調べしてから電話してこんかい!」

その精神は完全に私に引き継がれていると確信しています。笑。

灘区のまちづくり会議企画運営委員会にも参加し、「なだだな」(灘区の歴史やトリビアを紹介する冊子)の編集にも携わっていました。

そんな父は愛した灘のまち。

地元でのコンサートを続けていけたらいいな。
目標額はおかげさまで突破!
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この企画を長く続けていきたい。
どうぞご支援、拡散にご協力お願いいたします。

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木村ハルヨ

https://kimuraharuyo.com