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11月 14, 2016
木村ハルヨ物語9 〜いま考えていること〜
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仲間に曲を提供してもらい、自分でも作曲し、オリジナルアルバム『DIVA 歌姫』をリリースできた。

大好きな”蛇道-JADOH-”は三人体制からバンドへ、二胡でロックという新ジャンルを模索中だ。

 

 

東京、沖縄、北海道など全国各地、関西では梅田のロイヤルホース、三宮のピアジュリアンなど、音楽に携わる者なら皆が憧れる場所で、”木村ハルヨ”を冠にして何度も演奏させてもらえている。

 

近々では、神聖な高野山壇上伽藍での奉納演奏。

 

 

 

 

 

ミラクル!!!

 

 

 

 

ある日、ツイッターでメッセージが届いた。

映画音楽で二胡を弾いて欲しいと。

それから何作か、映画で演奏したり出演したり、映画初日の舞台挨拶に登壇したり。

なかなかできない経験をさせてもらえた。

 

 

NHKラジオドラマでも弾いた。

関西のラジオ局にはだいたい出演させてもらった。

新聞にも何度も取り上げてもらった。

 

 

 

 

ミラクル!!!

 

 

 

 

 

古典をたくさん弾くリサイタルをしたい、と思っていたらそんな話が舞い込んだ。

出番前に吐くほど緊張した2015年メイシアターでのワールドミュージックシリーズ出演は、チキンジョージに続いての私の大きな通過点になった。

 

 

 

 

 

ミラクル!!!

 

 

 

ミラクル!奇跡!!

いやもうほんと、しつこいけどそれしか言えない。

 

 

 

 

もしかしたら、、、運は良かったのかもしれない。

美味しいお店を探す鼻には自信があるけれど、運命の女神の良い香りを嗅ぎ取る鼻も持っているのかも。

 

演奏している時に、私の頭上に琵琶を抱えた弁天様が見えたと言ってもらったことがある。

もしかしたら弁天様のお導きかしら。

ありがたい。

 

 

 

 

もしも私に何か才能があったのだとしたら、、、。

二胡を諦めなかった、二胡に飽きなかったという才能だけはあったのかもしれないと思う。

 

 

あと、ヘアメイクと衣装コーディネイトはどうやら人よりちょっとばかり出来るみたい。

 

 

 

すべてが繋がってここまで来られた。

この軌跡は奇跡だと改めて思う。

2016年のいま、思い返しながらこれを書いてみて良かった。

嫌な出来事もあったけれど、それにはそっと蓋をしてしまおう。

 

 

 

 

 

2011年の震災の時にはこんなことを書いていた。

わかったこと

 

 

この時から少し気持ちは変化していて、今は衣食足りた状態で、個々の範囲で出来ることをやるべきだと思っている。

正義の旗を振り回しすぎるのは、やっぱり私は苦手だ。

それはきっと、南三陸町応援団のメンバーとして、実際に三度現地に行くことができたからこそ感じられた、様々な現実も影響していると思う。

 

 

 

ただ、チャリティに限らず、何かをする時にはもっと名前が売れればいいんだろうなあとはぼんやり思っている。

でも「有名になること」が目的ではない。

 

 

うまく言えないけれど、、、、やりたいことをより簡単に実現するために、もう少しステージをあげたいっていうのが一番近いだろうか。

 

 

そこに近づくためにどうしたらいいか考える。

でも考えているようで考えていないかもしれないなとも思う。

これまでもそうだったように、直感がいつも頼り。

そうなる時はきっとそうなる。

たぶん。

 

 

 

 

 

うまくなりたい。

これは一番の望みだけど、それは自分の努力次第。

終わりのない、苦しいけれど楽しい道のり。

弾けなかったフレーズを何百回も練習して弾けるようになること。

こんなに楽しいことはない。

 

 

「ハルヨちゃん、歌った方がいいよ」と言ってくれた仲間のアドバイスに素直に従い、少しずつ歌うことも始めた。

下手くそだけど、音楽の根源は歌だと思うから嬉しいし楽しい。

やっぱり歌詞の力は偉大だ。

歌詞のない音楽の良さを知っているからこそ、より歌詞を大事に歌わなければと思う。

こんなに難しかったっけ?と思うほど、歌うことは手強いけれど。

 

 

 

 

 

 

プライベートでの大きな出来事もあった。

 

2014年の12月25日に神戸市の検診で子宮頸がんが発覚した。

幸い初期で発見できたので、2015年4月に二泊三日で入院&手術をし、完治した。

現在は定期的に検診を受けつつ、主治医からは、もう大丈夫、以前とまったく変わらない生活をしてくださいとお墨付きをいただいている。

(もし身近な人やあなた自身がその病気で、私の完治までの詳細を知りたい方は連絡をください。私もある人にとても助けられたので、私のこの経験もいつか誰かの役に立てたらいいなと思い、時系列でクローズドページにまとめています。)

 

 

 

病名で検索し、子宮がなくなるかもしれない、自分が死ぬかもしれないということを考え、夜中に目が覚めて、怖くて叫んだ日があった。

黒くて大きな怖いものにすっぽり覆われてる心地だった。

怖かった。

 

 

そんな出来事もあり、1995年の震災から思っていたことを、より強く、明確に思うようになった。

 

明日、いやもしかしたら次の瞬間に死ぬかもしれないから、思うように生きよう。

 

 

 

やりたいことを、楽しいと思えることを、好きな人とだけやろう。

嫌なことは嫌だと言おう。

自分の情報を発信することに専念し、必要以上に情報をインプットするのはやめよう。

覚悟を決めて腹をくくって、でも無理や我慢はやめよう。

家族を大切にして、仲間を大事にしよう。

友達は少なくていい。

会いたい人にだけ会おう。

美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲もう。

ああ、でも太るのは衣装が入らなくなるからほどほどに。

 

 

毎回の演奏を、丁寧に、精一杯、お客様のために、そして自分も思いっきり楽しもう。

 

 

 

 

 

 

 

これが今考えていること。

日々を過ごしつつ思っていること。

 

 

 

 

 

 

あとは、、、猫になりたい。

願わくば、猫にまみれて暮らしたいにゃ。