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11月 07, 2016
木村ハルヨ物語8 〜みちのり〜

<初仕事>

最初の教室に在籍していた頃に作った女性だけのアマチュアグループに、時々同級生のYくんがハーモニカで参加してくれていた。

彼の繋がりで、三宮のライブバーに出演したことがある。

 

その時のメインバンドのボーカリスト、りょうまさんからある時連絡があった。

京都の着物屋さんで二胡を演奏してくれる人を探しているとのこと。

私はすぐにその当時習っていた日本人の先生に連絡。

そしたら「私が演奏してもいいけれど、木村さんやってみたら?」と。

え!?わたし!!

 

それが記念すべき初仕事。

控え室にウドゥ(壺みたいな楽器)があったこと、待機時間がすごく長かったこと、いろんなことを鮮明に覚えている。

 

着物屋さん所有の蔵を改装したスペースに二日間通い、1日に二回演奏をした。

それはもう緊張したけれど、そんな様はお客様には見せられない。

CDデッキでカラオケをかけて、ひとり生音で演奏をした。

幸いとても喜んでいただけた。

心の底からほっとした。

 

その時アテンドしてくれたのは、なんと現在も仲良しの木村ライダー氏。

不思議な縁だ。

 

 

 

<東京・西野さん>

最初はmixiで連絡があった。

今では全国で知らない人はいない二胡屋さん”光舜堂”の西野さんだけれど、その頃はまだ二胡を作りはじめられた頃だった。

自分の作った二胡を弾いてみてくれませんか?とお話をいただいたときは、なぜわたしに?と驚いたけれど飛び上がるほど嬉しかった!

 

 

機会を作ってはじめて東京でお会いした時「ああ、やっぱりね!商売人の匂いがしたんだよ!」って私の目を見て仰った。

あと、光栄なことに西野さんのお嬢さんに私が似ていると。

 

それ以来、西野さんは私の東京のお父さん。

私は西野さんの西の娘。

 

その当時の先生や上海の先生たちが「これは二胡の音ではない」と言っていた頃も、私は浮気をせず使い続けた。

いただいた楽器は何代目かになっているけれど、もちろんいまでも毎日一緒だ。

 

私を選んで大切な楽器を託してくださったのだから。

楽器を作る人にとって、それはその人の分身であり、娘みたいなものだと思うから。

 

微妙な音質や変化を説明できる繊細な耳と饒舌な表現力は持っていないけれど、とにかく毎日ステージで弾き続けることだけは誰にも負けない。

弾いて弾いて弾き倒す。

大事な大事な相棒だ。

 

最近やっと、少しだけ、楽器を身体の一部みたいに扱えるようになってきたように思える。

まだまだ、まだまだだけれど。

 

私の楽器と奏でる音色は、東京のお父さんの愛でできている。

 

 

 

<神戸AMPとチキンジョージワンマン>

神戸に面白そうな音楽事務所があることをネットで知り、オープンマイクのようなライブに申し込んだ。

ちょうどひとりでやっていこうと決めた頃だ。

カラオケをかけて「賽馬」を弾いたら、その事務所の代表者、SHIROWさんが名刺を出しつつ声をかけてくれた。

 

「うちで演奏してくれる?」

 

それが神戸AMP(アンプ)と、代表 原野史郎さんとの出会い。

(でも本当の本当の最初の出会いは、私が美術講師をしながら押し花ブーケ制作・販売の仕事をしていた頃。SHIROWさんはホームページ制作の仕事をしていた頃。きっと縁が深いのだ。)

 

 

最初に木村ハルヨ名義で作ったCDは神戸AMPから。

歌謡曲のカバーCD300枚は嬉しいことにすぐに売り切れた。

 

 

次は何にしよう?

誰もやってないことをしたいよね。

ギタリスト居倉くんのアイデアで、アニメソングのカバーをすることになった。

 

ちょうどその頃、神戸で最も有名なライブハウス・チキンジョージで現在作曲家の成瀬英樹さん主催のライブがあり、私も声をかけてもらって出演した。

 

(現在、AKBや前田敦子に多くの曲を提供している作曲家 成瀬英樹氏とは、なんと英会話スクールで出会ったのだ。Hi!Haruyo  Hi Hideki!なんで話していたのが嘘みたいなほんとの話。)

 

出演者やチキンジョージの社長、スタッフとのライブ後の打ち上げで、今度新しいCDを出すんですと話していたら、なんと話の流れでチキンジョージでワンマンライブをすることになった。

えらいこっちゃ!!

ほんとうにもう、これは私にとって大変なことだった。

神戸で、いや音楽業界でチキンジョージを知らない人なんていないもの!

 

 

反省点は多かったものの、内容は超盛りだくさん、お客様はほぼ満席。

仲間のミュージシャンに助けられて本当に面白いライブになったと思う。

(アンコールはラムちゃん風衣装で「ラムのラブソング」を弾いたっちゃ☆)

 

 

それだけの人を集められたこと、たくさん仲間と事務所とSHIROWさんが助けてくれたこと、チキンジョージでワンマンライブをやりきったことは、大きな、わたしのひとつの通過点となった。

 

 

 

 

 

 

京都での演奏を尻込みしていたらプロにはなれてなかったかもしれない。

遠慮して、西野さんの楽器を受け取ってなかったとしたら、今、私はどうしているのだろう?

もしかしたら二胡を演奏していないかもしれないとすら思える。

恐ろしい。

 

 

mixiでKackeyに会ってなければ居倉くんと会ってなかった。

SHIROWさんに会ってなければ筒井くんとも会ってないし、その後、ゴーゴー木村氏とも会ってない。

伐娑羅-BaSaLa-もてんにょーずも音語り座マカロンもできてないだろうし、蛇道-JADOH-もない!

 

 

なんにもない!!!

 

頭がくらくらする!!

 

 

こうして書きつつ、何か一歩、ピンと来た時に踏み出すことの大事さをひしひしと感じる。

勇気は要るけれど。

怖いけれど。

 

 

直感を頼りにずっとやってきたなあ。

これからも変わらず、このスタイルで進みます。

それしかできないしなあ、わたし。