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11月 03, 2016
木村ハルヨ物語6 〜育ったところ〜
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建築金物を小売りする神戸の下町の自営業の家で、三姉妹の長女として育った。

 

北から、阪急、JR、阪神と東西に3路線が走る神戸。

私の家は阪神電車よりも南。

わかる人にはわかる、この下町感。

 

 

 

音楽をやっていると「ご実家が裕福なんでしょうね」と言われることがある。

神戸のお嬢様なんでしょうね、と。

 

 

神戸というブランドなのか、弦楽器奏者に対するものなのか、音楽家に対するステレオタイプなイメージなのか、三歳くらいから英才教育を受けたのだろうとみなさん勝手に思ってくれる。

 

(3歳で二胡をはじめて、二胡暦15年だとしたら。さて問題。私は何歳でしょう。ふふふ。)

 

 

職業柄、そんな風に優雅に見えるということは良いことだと甘んじて受け入れてはいるが、実際は、100パーセント自分の意思とお金と時間を使ってなんとかやりくりしてやってきた。

 

 

そこはプライドを持って、胸を張って言える。

 

 

 

そういう意味の質問を受けた時は、内心あらあらと思いながら、そこは適当に流すことにしている。

真ん中の妹もそうみたい。

(妹は新神戸で鍼灸やアロマセラピーやヨガのサロンを経営しています⇩)

私が鍼灸師&セラピストになるまでのストーリー&なった理由

鍼灸師になって開業までのストーリー&そして今も続く・・・

 

 

自立しすぎた私たち姉妹、残念ながらお嬢様の「お」の字もない、神戸の下町の商売人の子。

 

再び夢を壊すわたしでごめんね。

 

 

 

さすがに借金まではしなかったものの、これまで持っているすべてをつぎ込んだ。

 

一度目の結婚では、音楽に理解のなかった元夫や、数十年後の老後の安定よりも、音楽ができることを優先し、私は離婚を選んだ。

 

それは簡単なことではなかったし、他にもここには書けない要因があったけれど、奥さんとして安定した生活をする自分より、厳しいながらも音楽をする自分を選択したんだと思う。

経済的な不安はあったけれど、でも迷いはなかったなあ。不思議と。

余裕はないけれど、きっとなんとかなるだろう。

そんな気がしていた。

音楽を生業にしようと決意したのがこの頃。

 

 

コンサートもレッスンも上海の夏合宿もその時しかない。

行きたいものには行こう。

いつ廃盤になるかわからないからCDや楽譜は惜しまず買おう。

新しい楽器も弓も、欲しいと思ったら無理してでも買おう。

それが自然で当たり前だと思っていた。

与えられるのではなく、自分で手に入れるのが自然なことだった。

 

 

 

商売人の家に生まれ、給料をもらうのではなく自分で稼ぐということがごくごく普通の家で育ったことは、とても私の生き様に役に立った、立っていると思う。

 

自分で宣伝営業し、売り込み、値段をつける。

売るものは違えど、同じこと。

自然とその道を選んでいたんだなあと思う。

 

だから、同じような生き方をしている人が好きだ。

そういう人たちとだけ、音楽と人生を作っていきたい。

 

 

 

両親はああしなさい、こうしなさいと一切指図しなかった。

相談はするけれど、反対されたことはない。

過保護なところは一切ないけれど、いつも目立たず見守ってくれている。

そしてのびのび自由に、美味しい手作りの食事で育ててもらった。

 

 

 

妹の言葉を借りると、うちの両親は「口もお金も出さない」だって。

うまいこと言う。

 

 

あと、丈夫で健康で、なぜだか父よりも長身で、少々個性的ではあるものの目鼻立ちのはっきりしたステージ上で目立つ容姿に生んでくれたことに感謝している。

 

生前、父は時々コンサートにふらっと来てくれた。そして何も言わずに帰っていく。

そしてわかったようなことを後日会った時に言ってくる。

大抵聞き流していた。

 

ごめんね、お父さん。ちゃんと聞かなくて。

 

 

そうそう、父が入院していた時のこと。

お見舞いに行った帰り際、これからラジオ関西に出演するよと言ったら、私が帰ろうとするなり同室の人や看護師さんに嬉しそうに触れ回っていた。

父なりの愛情表現。

 

 

 

母も直接褒めてくれることは極端に少ないけれど、あるとき居間で私のCDを流していてびっくりしたことがある。

暇があると衣装を縫ってくれたり、繕ってくれたり。

本当にありがたい。

 

以前大勢で演奏した時のこと。

後日、「はるちゃんが一番美人やったわ」と言っていてびっくり。

そんなことは言われたことがなかったので本当に驚いた。

しかし褒めるのそこですか、母よ。

 

まったくもって愛情表現が下手すぎるふたりだけれど、母と、天国の父に、心から感謝。

音楽を生業とすることができました。

この環境に産み、育ててくれたことに感謝。