Blog

10月 27, 2016
木村ハルヨ物語5 〜二胡との出会いとそれから〜
%e6%9c%a8%e6%9d%91%e3%83%8f%e3%83%ab%e3%83%a84

Tさんは母の友人でもあり、ヨガの先生。

はるちゃん、面白いことやってるのね。

あのバンドで弾いたら面白そうな変わった楽器がうちにあるからあげるわね、と母経由でいただいたのが二胡だった。

 

そう、二胡だった!!

 

大学時代に青野先生と作った二胡。

本物の二胡を思いがけず手に入れることができた。

 

とはいえ、すぐに音は出ない。

独学は無理だと思った。

教室を探さねば。

 

すぐにネット検索。

チェンミンの登場により日本で二胡が知られはじめ、一次ブームが起こった。

その終わりくらいだろうか。

女子十二楽坊で大流行する数年前。

二胡教室は今より少なかったのだと思う。

「神戸 二胡 教室」のようなワードでヒットしたのがハーバーランドにある教室だった。

すぐに入門。大きな教室に数十人の生徒がいて驚いた。

こんなに大勢のグループレッスンでは自分の音も聴こえない。

これではダメだとすぐに先生に相談し、個人レッスンを受けるために毎週豊中まで通った。

 

その教室在籍中に女性ばかりの演奏グループを先生の名の元結成し、(というか、生徒がほぼ女性だった)老人保養施設や地元のイベントに出演するようになった。

 

衣装を揃えたり演奏をしたりするのはとても楽しかったが、ステージに懸ける熱さが他のメンバーと違い過ぎ、確か三年くらいで私は抜けることになった。

私が本気過ぎて浮いていたと思う。

趣味なのになぜそんなに真面目なの?木村さんは威圧感があって怖いと言われた。

怖い、、、、、。ふう。

 

それでも曲順やMCを考えたりするのは良い経験となった。

 

その頃、メンバーに「木村さんはプロになれると思う」と言われて、嫌味だとしか受け取れなかった。

へたくそだったもんな、ほんとに。

なかなか上達が感じられなくて、音大出身の友達にいろいろ相談したりしていたのを思い出す。

 

 

最初の先生から離れ、その後は良い先生を探す数年間。

当時、日本舞踊の準師範だった友人に「良い師は10年かけてでも探せと言うんだよ」とアドバイスをもらい、いいと思える先生に出会えるまでは独学で練習を続けようと思った。

 

そして数年後に出会った日本人の師。

その先生とは上海までレッスンを受けに行った。

その後、日本で演奏家として活躍する中国人の先生にも習った。

東京まで別の中国人の先生にも習いに行った。

ワークショップがあると聞けばどこへでも行って受けた。

コンサートやコンクールを聴きに、レッスンを受けに、全国各地や上海にも何度も行った。

上海音楽学院の二胡夏合宿には二度参加した。

二週間余りの二胡合宿。

超一流の講師、堅いベッド、山盛りの食事、朝昼晩のレッスン、、、、。

(合宿について詳しくは当時のブログを貼るので、興味のある方はどうぞ。)

http://nikoharuyo.seesaa.net/article/217616232.html

 

 

その夏合宿では、小さい頃から英才教育を受けた中国人の生徒たちのレベルと、大人になって始めた日本人とのレベルの大きな隔たりを感じ、これが同じ楽器なのか、、、とこてんぱんに打ちのめされた。

中国人奏者の超超大御所が、いかに中国的ニュアンスが大事なのか、それを出すには中国人でないと無理だと話しているのを目の前で聞き、ああ日本人はやっぱり認められていないのだな、私たちはただの金払いのいいお客さんなんだなと痛感した。

それは仕方のないことだと思う。

ただ、帰国してから、私には私にできることがある、とも思えてきた。

 

同じところを目指しても到底叶わない。

そして私は二胡の音色は好きだけど中国や中国文化が好きなわけではない。

たまたま出会い夢中になれた二胡とこれからも付き合っていく以上、そのエッセンスは大事にしつつ、古典も勉強しつつ、私流を探ろう。

 

独学時代、いろいろな師に教えを受けていた時代、車でかけるのは二胡のCD、寝ても覚めても二胡、二胡、二胡。

 

中学校のバスケ部だった時、バスケットボールを抱いて寝るくらいボールと友達になれと言われたのを思い出し、二胡を抱いて寝てみたこともあった。

 

何もない日は一日中練習をしていた。

予定のある日も時間が空けば弾いていた。

レッスンまでに課題曲を暗譜するのが当たり前だと思っていた。

それは上海でのレッスンで学んだ。

8時間や10時間くらいあっという間だった。

私は音楽教育を受けたわけでもなんでもないから、できることはなんでもしようと思ったし、それが苦痛でもなんでもなかった。

 

 

アマチュアとプロの境目は、一万時間、それに向き合ったかどうかだと聞いたことがある。

私は図らずもその頃にかなりの時間を稼いでいたんじゃないかなと、今になって思う。

 

「どれくらい練習したら木村さんみたいに弾けるようになりますか?」と質問を受けた。

「死ぬほど練習してください」と答えると、「もっと夢のあることを言ってください、、、」と言われてしまった。

 

ごめんね、でもそれしか言えないの。