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10月 06, 2016
木村ハルヨ物語3 〜二胡との出会い〜
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高三の夏。

バスケ部を引退したと同時に「美術科に行きたい」となぜか閃き、元町にあった美術の予備校に通わせてもらった。

私立に入れるほど実家は余裕がなかったので国立狙い。

無事、浪人することなく大阪教育大学教養学部教養学科美術専攻美術コース(美術)に入学。

 

最初に「二胡」という単語を聞いたのは、大学一回生の第二外国語で専攻した中国語の授業でだった。

その年、中国語はなぜだか人気がなく、受講生が少なかった。

担当教諭は大阪外国語大学から客員で来られていた青野先生。

育学部の教養の授業、興味を持てるように、、、と中国の楽器や映画を紹介してくださったりして、とても楽しい授業だった。

 

ある日、青野先生から「うちの大学で缶二胡を作ってみませんか?」とのお誘い。

その授業で知り合った美術科二回生、ひとつ年上のサトコさんと私はその頃すっかり仲良しになっていて、二人で青野先生の研究室まで行き、コーヒーの空き缶(自販機のではなくて豆の入っている大きいやつ)と木材と釣り糸などで缶二胡を作った。

美術科だったし、工作は好きだったので楽しかった。

でも残念ながら綺麗な音は出なかった。

今思えば松脂が全然足りてなかったのだと思う。

 

それが、私の一番最初の二胡との出会い。

 

 

その缶二胡は実家に置いていたはずだけれど、震災やら引っ越しやらのどさくさでいつの間にかなくしてしまった。

とても残念だ。

 

 

プロになった頃、お名前で検索したら青野先生の研究室のメールアドレスがヒットした。

思い切ってメールを書いてみたら私のことを覚えてくださっていて、お返事をいただけた。

 

先生が教えてくださった楽器の奏者になりました。

今でも感謝しています。いつか演奏を聴いていただけますように。

 

 

ジャズボーカルの発表会に来てくれて、一緒に缶二胡を作ったサトコさんは、今でもたまに演奏を聴きにきてくれる。

大学時代の思い出の大半がサトコさんと、そして友人知人の方々とのこと。

彼女の広いワンルームに大きな大きなベッド。

音楽とお酒、写真とドローイングと彫刻と、そして自由な雰囲気。

 

年上の、美術をする人たちの醸し出す自由さにとても憧れた。

でもどこか現実的で、アーティストにはなりきれない自分にも徐々に気づいていったようにも思う。

 

 

その頃の私は奨学金をもらいつつ、生活費を稼ぐために吉本新喜劇の元女優がママの小さなスナックでバイトをしていた。

楠本美恵子さん、通称”おみえどん”は父の同級生ということで実家公認のスナックでのアルバイト。

 

小さいころから父の運転する車でハリーベラフォンテを歌ったり、歌謡曲を聴いたりしたことが役に立ち、懐メロも同年代よりはよく知っていたようだ。

スナックではお客さんとデュエットしたり、私の歌を聴きたいというお客さんもたまにいらっしゃったりした。

 

毎晩、ママが出勤するまでの時間は店番をしながらひとり気持ちよくカラオケで歌っていなあ。

チーママのおねえさんと、ミナミに毎晩のように飲みに行っていたのも良き思い出。

 

夜遊びの楽しさを知った頃。

懐かしい思い出。

 

父と、そして大学時代数年のあの経験が私の音楽のルーツなのかもしれない。

古いアメリカの曲、演歌、そして歌謡曲。

サトコさんの部屋でかかっていた、ジャズやインストゥールメンタルミュージック。