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10月 05, 2016
木村ハルヨ物語2 〜ちいさいわたし〜

超引っ込み思案だった幼稚園から小学生の頃。

 

背が高い、というか他の子たちよりも大柄。

既成のサイズでは入らず、制服も帽子も特注だった。

そんなに大きいのかと幼心に悲しかった。

母の手によっておかっぱに切られた髪型はちっともかわいくなくて、自分に一ミリも自信がなかった。

友達を作るのが苦手で輪に入ることができず、ひとり自分の世界に入り込み本を読むのが好きだった。

父が買ってくれた、ハードカバーで赤い背表紙の世界物語全集が友達だった。

自分の世界に逃げ込むことしかできなかった、の方が正解かもしれない。

 

幼稚園の頃の出来事で鮮明に覚えている場面がある。

 

みんなが木製の大きな積み木で遊んでいる。

仲間に入れない私。

ひとりぽつんと積み木に腰かけて誰かが声をかけてくれるのを待っている。

でもいつまでもひとり。

輪に入れない。

先生が声をかけてくれるものの、やっぱり仲間に入ることができないわたし。

友達が作れないわたし。

 

 

天真爛漫にはしゃぐ、笑顔が可愛いロングヘアの人気者の女の子を眺めて、私もあんな風にできたら、なれたらいいのになって心の底で憧れていた。

 

でも可愛くないわたし。

自分に自信がないわたし。

何も言えないわたし。

 

そして今でも時折顔を覗かせる、ちいさいときのわたし。

 

 

小さい頃から、いつももう一人の自分が俯瞰で自分を見ているような不思議な感覚に囚われていた。

それは小学校高学年くらいまで続いた。

あの感覚はなんだったのか。

 

 

信じられない!と言われるけれど、そんな子だった。

 

 

そうそう。

そんな私が何を思ったか、小学校五年生のお楽しみ会で、当時流行っていた曲を一人で歌ったことがあった。

あれはなんだったのだろう。私に何が起こったのだろう。

でも何かのきっかけになったことは確か。

 

内田先生、あなたの影響です。

5、6年を担任してくださった、太陽みたいに明るくて、大好きな先生。

アラレちゃんみたいな眼鏡がとびきり似合う、最高にイカした先生。

数年前にライブを観に来てくださり、その後勤務されている学校の音楽鑑賞会に呼んでくださった。

生徒たちは天女衣装を着た私をお姫様と呼んでくれ、音響のMさんは生徒たちにプロデューサーと間違われた。

 

公演後は先生の受け持ちの教室で、生徒たちと一緒に給食を食べた。

連絡帳にサインをして!と鉛筆を持って列を作るこどもたちがなんとも可愛かった。

あの子たちに何か印象を残せていたら嬉しい。

少しは恩返しになっていたら嬉しい。

 

 

 

中学校では部活紹介で見た先輩の叩くドラムに憧れ、ブラスバンド部に入部届けを出した。

しかし、なぜかバスケットボール部の顧問の目に止まってしまい(たぶん大柄だから変に目立った)、バスケットボール部に入部することに。

ここで音楽をする1回目のチャンスは絶たれてしまった。

長女でいい子で八方美人だった私は、先生に反抗するなんてできなかった。

 

長女気質の真面目さから、界隈でも有名な厳しい厳しいバスケットボール部でキャプテンになぜか任命され、そしてあろうことか、各区の選抜メンバーで構成される神戸市東西対抗戦の東軍キャプテンまで拝命してしまった。

決して、全く、運動神経は良くないのに。

華麗にシュートを決めることなんて、一度もできなかったのに。

 

そして八方美人の性格が災いし、”烏帽子中学校のキャプテン”、”神戸市東西対抗戦東軍のキャプテン”の肩書きだけが一人歩きし、実力が伴わないまま、先輩に乞われるままに高校でもバスケットボール部に入部。

高校卒業までバスケットボールを続けることになった。

まったく楽しいと思っていなかったにも関わらず。

辞めたいと言う勇気もなかった、臆病なわたし。

 

最後まで、運動と集団行動は苦痛でしかなかったけれど、根性と忍耐力と精神力と責任感と基礎体力と礼儀だけは人一倍備わった。

それは感謝したいと思う。